加藤和也の父親はかとう哲也で実母は円山鈴子(阿部静子)!

加藤和也の画像 エンタメ

歌謡界の女王・美空ひばりさん(本名:加藤和枝)は、1989年6月24日、52歳という若さでこの世を去りました。

 

死因は、間質性肺炎による「呼吸不全」で、養子の息子・加藤和也氏が、青山葬儀所で行われた葬儀で喪主を務めたのでした。

 

美空ひばりさんが亡くなった1989年は、バブル時代真っ只中。

 

昭和から平成に変わった年でもあり、2年前にさかのぼっては、銀幕のスター・石原裕次郎さん(享年52歳)が、逝去した年でもあったのです。

 

それに美空ひばりさんが亡くなったときの年齢は、くしくも石原裕次郎さんと同じ52歳。

 

2人に子供(実子)が居ないことや「酒」、「タバコ」が手放せないことなど、共通点も多くあったのです。

 

また、死因に関しても、主な原因が酒だったことなど、比較すればするほど、昭和を代表するスターというのは似ているところが多いことに気づきます。

 

唯一、違うところはといえば、子供を養子縁組にしたかしてないかだけ。

 

美空ひばりさんの方は、加藤和也氏を養子縁組にしていましたが、石原裕次郎さんの方はというと、検討したかもしれませんが、養子縁組を結びませんでした。

 

そこで今回は、美空ひばりさんの息子になった加藤和也氏の父親・かとう哲也さんや、実母・円山鈴子(本名:阿部静子)さんの死因などについてまとめてみました。

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加藤和也は美空ひばりの弟 かとう哲也の子供

美空ひばりさんは子役時代から芸能界で活躍。

 

9歳から歌手として活動し、子供のころは「天才少女歌手」と呼ばれていました。

 

そもそも、美空ひばりさんが芸能界に入ることになったのは、母親の加藤喜美枝さんといっしょに、神戸の893・田岡邸へ挨拶に訪れたのがきっかけでした。

 

当時、田岡氏は「神戸芸能社」という芸能プロダクションの社長を務めており、ひばりさんの歌を聴いて、自身の事務所に勧誘したのです。

 

それ以来、田岡氏とズブズブの関係になり、1962年、美空ひばりさんは俳優の小林旭と結婚。

 

しかし、結婚生活は長く続かず、結局1年7か月後に離婚したのでした。

 

と言っても、元々、美空ひばりさんと小林旭の結婚は、田岡氏の一言で決まったのだとか。

 

小林旭に一目惚れした美空ひばりさんのために、田岡氏が「いっしょになったれ」と迫ったのです。

 

離婚の時も、田岡氏が小林旭に「そろそろひばりを皆の所に返してやれや」と申し出て、それを承諾。

 

つまり、夫・小林旭は田岡氏に逆らうことができないため、言うことを聞くしかなかったのです。

 

結局、そんな結婚だったので2人の間に子供は授かりませんでした。

 

なので、現在「ひばりプロダクション」の社長をしている息子の加藤和也氏は、実の子供ではなく、ひばりさんの養子縁組ということになります。

 

そんな和也氏を、美空ひばりさんが自分の養子縁組にしたのは、加藤和也氏が7歳の時でした。

 

しかも加藤和也氏は、ひばりさんの実の弟・かとう哲也さんの子供だったのです。

 

ただ、美空ひばりさんは、和也氏が養子だからといって特別扱いはしませんでした。

 

本当の息子同然に育てたし、和也氏も本当の母親としてひばりさんと接していたので、反抗期には反発してグレたりしたといいます。

 

なので、加藤和也氏は明大中野高校に進学してもケンカなどで停学に。

 

結局は高校を16歳で退学し、その後に「ひばりプロダクション」の副社長を務めたのでした。

 

そして、翌年社長に昇格した息子の加藤和也氏は、2000年に俳優・浜田光夫の長女・有香さんと結婚。

 

2人は幼馴染で小学校から一緒の仲で、交際のきっかけは、有香さんが営む洋食店に偶然、和也氏が訪れたことでした。

 

久しぶりに2人は再会し、それから3回目のデートで和也氏がプロポーズしたのだとか。

 

ちなみに和也氏有香さん夫妻に子供はいません。

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加藤和也の実母 円山鈴子(阿部静子)の死因

美空ひばりさんは、妹の佐藤勢津子さんと、弟のかとう哲也さん、香山武彦さんの4人兄弟。

 

養子縁組にした、息子の加藤和也氏は弟の子供なので、父親はかとう哲也さん、実母は円山鈴子(阿部静子)さんです。

 

(画像は加藤和也の父親 かとう哲也氏)
かとう哲也の画像

 

それから、美空ひばりさんは父親を戦争で亡くし、母親を1981年に転移性脳腫瘍で亡くしています。

 

さらに弟2人も、共に42歳の若さで悲運に見舞われたのでした。

 

それに元々、和也氏の父親・かとう哲也さんも芸能人。

 

かとう哲也さんは、1957年に小野透の芸名で歌手デビューし、映画にも出演していましたが、1962年に引退したのでした。

 

ただし、引退後は警察に逮捕されるなど、度重なる不行跡。

 

1969年に新芸名をかとう哲也にして芸能界復帰し、歌手の円山鈴子さんと結婚するも、1972年にふたたび警察のお世話になったのです。

 

結局、円山鈴子さんとは10ヶ月の結婚生活で、その中で和也氏が誕生しています。

 

なので、円山鈴子(阿部静子)さんが実母ということになるのですが、和也氏はそういった訳ありの子供だったので、ひばりさんが引き取ったのです。

 

(画像は加藤和也の実母 円山鈴子さん)
円山鈴子の画像

 

また、加藤和也氏はひばりさんが亡くなった後、実母の円山鈴子さんと対面していますが、その母親も数回会って病気で亡くしています。(死因の病名は不明)

加藤和也の父親 かとう哲也の死因

美空ひばりさんが養子縁組にした息子・加藤和也氏の実の父親・かとう哲也さんは1983年に逝去。

 

かとう哲也さんの死因は心不全で、下の弟・香山武彦さんも芸能界で活動後、飲食店を経営していましたが、1986年に心不全のため逝去しています。

 

現在、兄弟の中で生存していろのは、妹の佐藤勢津子さんだけ。

 

勢津子さんは、姉・美空ひばりさん亡き後、惜しむファンのために歌手として活動しているそうです。

 

ところで、生前の美空ひばりさんは、意外にもカラオケが好きだったそうです。

 

美空ひばりさんは、いろんなヒット曲を世に送り出してきた人で、それらの曲はいまでもカラオケで歌い継がれています。

 

ちなみにカラオケでよく歌われる曲の人気ベスト3は

1位 愛燦燦

2位 川の流れのように

3位 みだれ髪

 

1位の愛燦燦は、シンガーソングライターの小椋佳が作詞・作曲を担当した曲。

 

実は発売された当時、あまりヒットしませんでした。

 

ですが、遺作となった「川の流れのように」と並んでメディアに多く取り上げられたため、ひばりさんの代表曲のひとつとして世に親しまれるようになったのです。

 

そして、美空ひばりさんの死因となった呼吸不全ですが、これは「特発性間質性肺炎」が引き起こしたものでした。

 

そもそも「特発性間質性肺炎」というのは、原因のわからない難病。

 

普通の肺炎なら抗生物質で治療するところ、「特発性間質性肺炎」は抗生物質の治療法が効きにくいのです。

 

また、症状としては、以下のような報告があります。

肺胞の壁の中や周辺に“炎症”(皮膚で言えばやけど、肝臓で言えば肝炎のようなもの)が起こり、細胞やコラーゲンなどが増加し壁が厚くなる病気です。

 

ただ、原因がわかっていないものの、喫煙との関連が指摘されています。

 

それと美空ひばりさんは、「特発性間質性肺炎」と同時に、「重度の肝硬変」を併発していました。

 

2つの病気に関係する「タバコ」と「酒」は、特に母親が亡くなってから手を染めるようになったといいます。

 

さらに、実弟2人の度重なる悲運に、ひばりさんはますます酒とタバコの量が増えていったのでした。

美空ひばりの死因で痩せ薬のセンナはデマ?

美空ひばりさんは49歳のとき、公演先の福岡市で体調不良に陥り、済生会福岡総合病院に緊急入院。

 

告げられた病名は酒が原因の「肝硬変」と、「大腿骨骨頭壊死」という難病だったのです。

 

美空ひばりさんが患っていたもうひとつの「大腿骨骨頭壊死」は、最近で言うと俳優の坂口憲二が患っていることでも知れれる病気。

 

大腿骨骨頭壊死とは以下のような病気のことを言います。

大腿骨頭の一部が、血流の低下により壊死(骨が腐った状態ではなく、血が通わなくなって骨組織が死んだ状態)に陥った状態です。

 

原因としては大量に飲酒した場合や、ステロイド薬を大量に投与した場合に患うことが多いとされますが、何の誘因もなく生じることもあるようです。

 

美空ひばりさんの場合は、9歳のときに遭遇したバス事故が遠い誘因だと指摘されたのでした。

 

ともあれ、治療を施し退院したひばりさんでしたが、退院後も肝機能は回復せず。

 

病状が一進一退を繰り返す中、歌手活動を続けていたのです。

 

すると、52歳の誕生日を迎えた約2週間後の6月13日、呼吸困難の重体に陥り、順天堂病院にて人工呼吸器を装着。

 

それから10日後の6月24日、美空ひばりさんは息子・和也氏に看取られながら息を引き取ったのでした。

 

結局、美空ひばりさんの死因は、酒とタバコが主な原因となったわけですが、一部では痩せ薬の「センナ」も関係していたのではないかと言われています。

 

どうゆうことかと言うと、ダイエットのために飲んでいた「センナ茶」が死期を早めたと、一部に報じられたのです。

 

センナには下剤効果があるため、痩せるお茶として飲まれることがありますが、副作用の影響で、胃腸が弱くなったり、病気を患っている人には免疫力低下につながることもあります。

 

翌年の1990年に亡くなった女優の高峰美枝子さんも、食事療法の一環で飲んでいた「センナ茶」で脳梗塞になり、死期を早めたと言われました。

 

センナが絶対悪いとは言いませんが、副作用も生じる場合があるので、気をつけなければならないのです。

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