☆この記事は以下のことについて知りたい人におすすめです。
・女優・浅香光代の息子の父親が誰なのかを知りたい。
・父親が大物政治家というウワサは本当なのかを知りたい。
・若い頃の浅香光代の画像を見たい。
女優の浅香光代(92)は2014年の雑誌「婦人公論」で、隠し子の存在を明かしました。
ただし、相手の名前は公表していません。
そこで今回は浅香光代の息子2人の父親が、大物政治家・S氏(画像)であるというウワサ。
若い頃が美人だったというウワサについて検証してみました。
浅香光代の息子の父親
浅香光代は、2014年1月の「婦人公論」にて、子供2人が「隠し子」であることを告白しました。
ただ、息子の方はこれまで自分の父親に関して、何も聞かされてなかったそうです。
また、この息子ですが、以前にもテレビ番組に顔出しで出演していたことがあります。
このとき出演していたのは次男の方で、名前は北岡昭次ということを公表。
息子の北岡昭次氏は、インタビューに答える形で番組に出演していたのです。
そして息子は番組内で、高校入学するまで兄弟2人が別のところで暮らし、浅香光代と一緒に暮らしていなかったこと。
さらに、母親の浅香に対して一度も「お母さん」と呼んだことがなく、「先生」と呼んでいたことなどを暴露。
一方、このとき自分たち子供の父親に関する話題は出していませんでした。
そのため、ネット上では父親に関する様々な憶測が飛び交うことになったのです。
そしてその父親ですが、「婦人公論」の記事によると、浅香光代は20代前半のときに妻のいる大物政治家と交際。
しかも、交際相手というのは、1948年に騒動を起こした泉山三六元蔵相から紹介されたのだといいます。
しかし、浅香光代は当時相手に妻がいたため、結婚はしなかったらしいのですが、その男性との間に2人の子供を授かったとのことでした。
また、その事実をこれまで隠してきた理由を、「当時は役者が政治家の子供を産んだとなると、先生の地位にキズがつく。先生が好きだったから言いたくなかった」と明かしています。
交際相手の大物政治家についても、「相手夫婦に子供はいなかった」「婦人は学習院出」や、「亡くなる直前に国会で倒れた」とも明かしたのです。
ただ名前を「S氏」とだけ明かしており、相手とは長男、次男を産んですぐに別れたのだとか。
そして、隠し子騒動から3ヵ月後に行われたイベントに出席した浅香光代は、マスコミから「父親は総理大臣?」と問われると、「そうです」と答えたそうです。
ところが、イベント後に行われたテレビ番組「グッド!モーニング」の取材では、父親を「総理大臣になるところだった人」と訂正。
現在その大物政治家と夫人は亡くなっているようですが、名前に関しては、今後も実名は明かさない意向を示しています。
ということから、これまで息子の父親の名前は明かされることがありませんでした。
ただ、浅香光代は長男から父親について尋ねられた際、「総理になれそうだったけどなれなかった政治家」だったことを打ち明けています。
大物政治家の名前
大物政治家についてヒントとなる記事を、女性セブンが掲載しています。
記事によると、これまで言われてきた「S」は名字ではなく、下の名前の“S”で、長く自民党のNO2に君臨していた人物。
ここでは、当時19歳で浅香光代が「S」と出会ったとしており、その人物は50歳近くの大物政治家。
かつて、浅香光代のインタビューの中で「吉田内閣で閣僚となり、“剃刀”の異名をとった人物」と明かされていました。
これらが本当なら、Sは下の名前で、浅香光代より30歳ほど年齢が上。
長く自民党のNo2に君臨していた大物、子供がいない政治家などと、ヒントがたくさん出てきています。
そこで大物政治家の名前で挙がったのが、重宗雄三氏(しげむね ゆうぞう)、前尾繁三郎氏(まえお しげさぶろう)川島正次郎氏(かわしま しょうじろう)の3人。
この3人の中で、重宗雄三氏だけ苗字が「S」、他2人の下の名前が「S」から始まっていることがわかります。
(前尾繁三郎)
(川島正次郎)
ただ2人とも自民党のNo2に君臨していた大物ですが、浅香光代が19歳のときの年齢はというと、前尾氏が42歳(1905年12月10日生まれ)、川島氏が57歳(1890年7月10日生まれ)と、報じられている年齢とは合っていません。
ということは、2人とも大物政治家「S」ではなかったということになります。
しかし、2014年2月6日号の「週刊文春」が、隠し子騒動で父親政治家の実名を浅香光代に直撃していました。
そのとき「文春」が報じた浅香光代の子供の父親は、川島正次郎氏だったのです。
浅香光代が若い頃は美人だった?
若い頃から女剣劇女優として活動してきた浅香光代は、1928年2月20日生まれの現在92歳。
現在の夫は、コメディアンの世志凡太(86)で、浅香光代にとっては6番目の夫となります。
夫の世志凡太とは、1992年に結婚式を挙げて、これまで連れ添っていますが、籍を入れておらず事実婚状態。
「いつ別れるか分からないから」入籍せず過ごしてきたことも明かしています。
6度も夫が変わっていることから、「昔は相当モテたのだろう」と画像を検索してみると、若い頃の浅香光代を発見。
結果、想像していたより美人だったので、妙に納得してしまいました。
(浅香光代が若い頃の画像)
そんな浅香光代も御歳92歳。
「私が逝っちゃった後、衣装やなんか誰が着るんだろう」と、終活の一環として自宅にある所有物を整理しているといいます。
現在自宅では、夫は3階に住んで自炊を行っていて、浅香光代は4階に住んで、お手伝いさんに身の回りの世話をしてもらっている状態。
同じ屋根の下に住みながらも、別居しているといいます。
そして、すでに不動産などの相続については遺言書を作成しているという浅香光代は、番組の企画で、専門家に家の中にある物の価値を判断してもらっています。
これまで着物が約800枚、帯が約1000本など、全部あわせて3億円はしたという品物が、専門家の査定は全部で400万円相当に。
番組によると、着物は需要が少なく査定額は低くなるということですが、所有している印籠や硯箱などの骨董品は総額で、340万円と査定されています。
3億円で購入したものが、合計で740万円の査定額になっても、浅香光代は満足そうな表情を浮かべていたということです。