小針崇宏監督(作新学院)のプロフィール 年齢と出身は?

小針崇宏監督の画像 エンタメ

☆この記事はこのような人におすすめです。

・作新学院野球部・小針崇宏監督の年齢を知りたい。

・小針崇宏監督の出身地を知りたい。

・小針崇宏監督の妻や子供、その他プロフィールについて知りたい。

 

栃木の作新学院野球部といえば、あの怪物・江川卓投手を思い浮かべますが、監督の小針崇宏(こばりたかひろ)氏も有名です。

 

小針崇宏監督は、2016年の「第98回夏の甲子園大会」の決勝で、南北海道の北海を7-1で下し、作新学院を1962年以来、54年ぶり2度目の全国制覇に導きました。

 

当時の作新学院は、野球部員99人のうち、90人以上が地元栃木の中学出身で、全国から優秀な選手をかき集めることなく、強豪校を撃破したのです。

 

第98回大会で優勝したのは、選手の実力があってこそなのですが、忘れてはいけないのは、ここまでチームを強豪に育て上げた小針崇宏監督の存在にあると言えます。

 

そんな小針崇宏監督もまた、地元宇都宮市立陽西中学校から作新学院に進学し、野球部に所属。

 

指導者としては、全員で野球をやることをモットーに、その日の調子が良い選手を起用するのが小針監督のスタイルだそうです。

 

そこで今回は、若干33歳にして作新学院を全国制覇に導いた「名将」小針崇宏監督のプロフィールなどについて迫ってみようと思います。

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作新学院 小針崇宏監督の年齢と出身は?

現在、小針崇宏監督の年齢は37歳ですが、作新学院の監督に就任したのは若干23歳のときでした。

 

小針崇宏監督自身も地元が栃木県で、作新学院の野球部出身。

 

選手時代はセカンドを守り、2000年の2年時にセンバツベスト8入りの経験を持ちます。

 

なお、3年の時はキャプテンを務めるも、夏の県予選の決勝で負けたため、残念ながら甲子園出場を逃しています。

 

そして、高校卒業後は、筑波大に進学すると、ふたたび野球部に所属。

 

4回生の時には、キャプテンを務めたのでした。

 

大学卒業後は、教員免許を取得し、母校に戻って保健体育科教諭に就任。

 

同時に野球部の監督を任されることになります。

 

ただ、当時の作新学院野球部は低迷期で、約30年間、夏の甲子園に出場できていませんでした。

 

学校側は弱小化したチーム再建のため、年齢が23歳と若い小針崇宏氏に希望を込めて監督を要請。

 

これがまんまと功を奏したのでした。

 

このころの作新学院といえば、野球部OBの圧力が強く、監督が長く続かなかったといいます。

 

たとえ優秀な生徒が入ってきても、先輩からのしごきがきつく、結果的に軟式野球部に転部するケースが目立っていたそうです。

 

結果、硬式が弱い代わりに、軟式野球部はメチャクチャ強かったというオチでした。

 

これらの状況を踏まえ、小針崇宏監督は就任の条件として、意見がうるさいOBをグラウンドに入れないことや、1年生でも上手ければ起用することを約束に挙げたそうです。

 

小針崇宏氏が監督に就任してからの作新学院は、甲子園に10回出場(春2回、夏8回)。

 

監督5年目の2011年に開催された「第93回夏の甲子園大会」では、ベスト4に進出し、現在は8年連続で野球部を全国大会に導いています。

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作新学院 小針崇宏監督のプロフィール

小針崇宏監督のプロフィールですが、まず、家族は妻と、2015年5月に誕生した娘さんがいます。

 

その他出身校などは、以下の通りです。

 

・生年月日 : 1983年6月22日

・年齢 : 37歳

・出身中学 : 宇都宮市立陽西中学

・出身高校 : 作新学院(選手時代は、2000年の春に21年ぶりのセンバツ出場でベスト8)

・出身大学 : 筑波大

・2007年より作新学院の野球部監督に就任。

・2016年の夏の大会優勝は、1962年の春夏連覇以来、54年ぶり。

・作新学院の主な野球部OBは、八木沢荘六(元ロッテ)、江川卓(元巨人)、岡田幸文(ロッテ)、今井達也(西武ライオンズ)、石井一成(日本ハム)。

神山雄一郎(競輪)、萩野公介(競泳)。

作新学院 小針崇宏監督は長渕剛の信者だった

小針崇宏監督のプロフィールに歌手・長渕剛を敬愛していることを追加しなければなりません。

 

作新学院が強豪校に生まれ変わったのは「長渕剛」が影響しているのかもしれないのです。

 

というのも、いつも移動中のバスでは鹿児島県・桜島オールナイトライブの映像が流されるといいます。

 

部員は常に長渕剛の歌に鼓舞されながら試合に臨み、今ではすっかり「長渕信者」になったそうです。

 

ある選手は「最初は興味なかったんですけど(ライブの映像で)話しているのを聞くといい男だなと思った。今では宿舎の部屋でも聞いています」と話します。

 

小針崇宏監督は「長渕さんはお客さん全員に『盛り上がれ』と言う。同じようにグラウンドでは見てるだけじゃなくて、盛り上げて声を出せ」とライブからヒントを得て訓示。

 

昨秋、負けが込んだ際には、部員全員で宇都宮市を一望できる「多気山不動尊」に立ち、学校のある方角を見ながら長渕剛の「逆流」を熱唱したそうです。

 

すると勝利を呼び込むようになり、「負けていたときに流れを変えて一丸になれました」と、思わぬエピソードがメンバーから打ち明かされたのです。

 

やはり、作新学院の強さの秘密に長渕剛なくして語ることはできないようです。

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