☆この記事はこのような人におすすめです。
・globeのKEIKOとゆず北川の破局理由を知りたい。
・小室哲哉の元妻を知りたい。
・KEIKOのツイッターの内容を知りたい。
globeのKEIKOといえば、2011年に「くも膜下出血」で倒れて休業を余儀なくされました。
ただ、その後のツイッターが「おやすみなさいだけで怖い」とネット上が騒然となったのです。
そもそも元夫で音楽プロデューサーの小室哲哉が結成した「globe」は、2011年にKEIKOが倒れて以来、活動を休止。
KEIKOはというと、大分県にある実家で療養中で、公の場に姿を現していませんでした。
最近でいうと、元夫の小室哲哉が2016年12月13日放送の「徹子の部屋」に出演した際、療養中のKEIKOが肉声メッセージを黒柳徹子に届けたくらい。
番組に12年ぶりの出演となった小室哲哉は、当時の生活やKEIKOの病状について「後遺症っていうものが殆どなく、普通に話している」と明かしていたのです。
ただ、当時のKEIKOは普通に話すことは出来ても、記憶障害が少し残っていたらしく、すぐ物事を忘れてしまうことを告白していました。
なので、復帰しようと思っても記憶がないので、曲が歌えない状態だったといいます。
そして、現在の「globe」は小室哲哉とマークパンサーの2人のみで活動をしていたところ、小室哲哉が看護師のA子さんと不倫していたことが発覚し、活動休止。
KEIKOの回復報道があったばかりですが、完全復帰するにはまだ少し時間が掛かりそうです。
そんなKEIKOですが、病気で倒れた後、小室哲哉がリハビリのために続けさせていたツイッターのつぶやきが、ほとんど「おやすみなさい」だけ。
当時はまだ後遺症が残っていたと思われ、ネット上では「見ていて怖い」「大丈夫?」などといった声があがっていたのです。
そこで今回はKEIKOのツイッターや、過去に交際していた「ゆず」の北川悠仁との破局理由などについてまとめてみました。
globeのKEIKOとゆず北川悠仁の破局理由
globeのKEIKOとゆずの北川悠仁の熱愛は、1999年5月に発売された「フライデー」にスクープされたことがきっかけで発覚しました。
KEIKOが北川のマンションに宿泊した翌日、自転車に乗ってスーパーへ出かけるところをフライデがスクープしたのです。
その他にも、高級ホテルで密会を重ねる姿をキャッチしたり、お互いの家を行き来したりと順調に交際を重ね、「ついに結婚か?」とも言われていたのです。
ところが、ふたりは結ばれることなく、2002年3月に破局。
破局理由は新興宗教の教祖である、ゆず北川の母親の猛反対にあったのが原因だったと言われています。
KEIKOとしては、北川と本気で結婚したいと思っていただけに、失恋の傷が深かったようです。
ゆず北川悠仁と破局後に小室哲哉と結婚
そんなときにKEIKOを支えたのが、吉田麻美と離婚したばかりの小室哲哉でした。
(小室哲哉の元妻・Asamiこと吉田麻美)
吉田麻美は、1998年に小室哲哉と音楽ユニット「TRUE KiSS DESTiNATiON」を結成。
小室哲哉と2001年5月に結婚し、子供を1人授かっていますが、翌年3月にスピード離婚しています。
その後、小室哲哉はKEIKOと2002年の11月に結婚。
ゆずの北川は、2011年10月20日にフリーアナウンサーの高島彩と結婚したのです。
北川よりも先に小室哲哉と結婚したKEIKOでしたが、結婚後は苦難の連続。
というのも、結婚後に小室が詐欺容疑で捕まり、自身も「くも膜下出血」で緊急搬送されるなどがあったからです。
そして、週刊誌に報じられた小室哲哉と看護師の不倫騒動。
小室哲哉は看護師とのことをKEIKOに話し、別居生活が続いていましたが、その後離婚が成立しています。
KEIKOのツイッターがおやすみなさいだけで怖い
KEIKOが過去につぶやいたツイッターは、後遺症の影響なのか、毎日が「お休みなさい」ばかり。
その為、ネット上では「見ていられない」「怖い」という声が寄せられていました。
KEIKOは病気後、夫の小室哲哉と共にツイッターを開設するも、毎日のツイートが「お休みなさい」。
たまに違うことをつぶやいていましたが、9割以上が「お休みなさい」だけだったのです。
お休みなさい💤
— k’s tenki (@Ks_tenki) 2017年12月9日
お休みなさい💤
— k’s tenki (@Ks_tenki) 2017年12月10日
お休みなさい💤
— k’s tenki (@Ks_tenki) 2017年12月11日
ただ、この「お休みなさい」だけのつぶやきも、2017年の12月11日の更新を最後にストップしていました。
今までは長くても1週間程度、更新しないことはありましたが、これだけ更新されないのは初めて。
ファンの間でもKEIKOの体調を心配する声が寄せられていたのです。
しかし、2019年の1月14日を機にツイッターを再開。
その10日後には、ジムに行ってきたことを報告しています。
ところで、KEIKOが「くも膜下出血」で倒れてから今日までで、10年以上の月日が経過しました。
KEIKOは2011年10月24日、自宅で倒れているのを小室哲哉が発見し、都内の病院に搬送。
そのまま緊急手術を行い、半日たたないうちに血管をピンセットで止めることができて、事無きを得ました。
そのおかげもあって、治るまでが早かったらしく、普通に話すことができてすぐに動ける状態になったとか。
その当時もパッと見、普通な感じだったのですが、少し後遺症として記憶が失われているところがあったのです。
また、小室哲哉が「徹子の部屋」に出演した際、KEIKOの後遺症についてこう明かしていました。
「普通の生活で、おしゃべりするくらい変わらないけど、ちょっと忘れっぽい。5分前とか1時間前とか近い時間のことが忘れやすくて、」
肉声テープを披露した際も、録音するのにだいぶ練習をしたことを明かしていたのです。