神野寺のトラ脱走事件は住職が原因で犬が犠牲に!その後は?

神野寺のトラ脱走事件の画像 社会

「神野寺 トラ脱走事件(騒動)」は、1979年(昭和54年)8月2日、千葉県君津市鹿野山の神野寺(じんやじ)で起こりました。

 

当時、神野寺の境内には、「十二支園」という小さい動物園があり、干支に関係のある12種類の動物を飼育。

 

問題のベンガルトラも、客寄せのために飼われていたのです。

 

現在では考えられないことですが、当時は猛獣であっても特別な許可はいりませんでした。

 

誰でも飼育が可能だったので、神野寺は200円の見物料をとって、参拝客を楽しませていたのです。

 

ところが、事件当日の午後10時、トラがいる檻の扉が開いているのを住職の次女が発見。

 

計12頭いる内の3頭が脱走していたのです。

 

ただ、ここで信じられないのは、こんな一大事にもかかわらず、住職が警察に通報したのは6時間後の翌未明。

 

結局、1頭はすぐ発見されたものの、1歳のオスとメスの2頭がいぜん行方不明のままだったのです。

 

そこで今回は、「神野寺 トラ脱走事件」の原因や、騒動の結末などについてまとめてみました。

神野寺のトラ脱走事件(騒動)は住職が原因

「神野寺 トラ脱走事件」はなぜ起こってしまったのでしょうか。

 

結論から言うと、トラが脱走した原因は鍵の締め忘れでした。

 

当時の住職の名前は山口照道氏。

 

山口住職は、「4時間前の午後6時に見回った時には、檻の鍵はきちんと締まっていた」と訴えたのです。

 

警察の方も当初は、脱走した原因を「何かの拍子にトラがかけてある鍵を跳ね上げ、扉が開いたのではないか?」と推測。

 

しかし、最終的に「鍵は締められていなかった」と判断したのです。

 

そうした警察の見解があっても、山口住職は「関係者以外の誰かが鍵を開けた」と自分たちに責任がないことを終始訴え続けたのでした。

神野寺のトラ脱走事件(騒動)の概要

トラ脱走の通報を受けた警察は、対策本部を設置し、500人体制で捜索をおこないました。

 

また、事件発生時、神野寺には研修に来ていた高校生が滞在し、周辺には、80世帯の民家と住民。

 

マザー牧場のキャンプ場に訪れていた客56人、国民宿舎の客120人。

 

その他施設に中学生等117人が訪れていたため、「トラが脱走しました」という危険を知らせるアナウンスが流れたのです。

 

そもそも、騒動の発端となった1歳のオスとメスのベンガルトラは、まだ子どもとはいえ、体重約100キロ、体長約1.5メートルあります。

 

こんなのが脱走したのだから、人を恐怖に陥れるには十分な大きさでした。

 

そのため、警察は被害が及ばないために、脱走したトラに対して麻酔銃を使うことも考えたのですが、射殺もやむなしと判断していたのです。

 

そして、脱走から2日後、逃走していたメスのトラを発見して射殺。

 

最初に発見したメスのトラが射殺された場所は、神野寺近くの山中でした。

 

ところが、トラを射殺したことで思わぬ波紋が広がったのです。

 

全国の動物愛護団体などから「射殺するな」「かわいそうだ」と多数の苦情が寄せられ、射殺した猟友会員の家にも苦情の電話が掛かってきたのです。

 

さらに、神野寺の住職も「時間的に余裕があったのだから射殺しなくてもよかったのではないか」と発言。

 

さすがの猟友会もこの発言には、激怒。

 

2頭目の捜索を一時中断することにしたのです。

神野寺のトラ脱走事件(騒動)で犬が犠牲に

もう1頭残っているトラの捜索が再開されるのですが、射殺か生け捕りかに意見が別れます。

 

結局、どうするのか決まらないまま、警察官や消防団、猟友会員ら計約2800人を動員して大捜索を開始。

 

それでもなかなか発見することができませんでした。

 

そして、トラ騒動から2週間が過ぎた頃、逃走していた1頭が民家の庭先に出没。

 

目撃されたのは、重点的に捜索を行っていた地区から2キロも離れた山の麓の民家だったのです。

 

それまでトラが出没した山あいの地区とは違い、住宅街に姿を見せたのは初めて。

 

他人事だと思っていただけに、住民はパニックに陥りました。

 

飼いならされたトラも空腹が続けば、凶暴になります。

 

山中で、ひとたび狩りの楽しみを覚えれば、人を襲うことは容易に想像できたのです。

 

そしてトラ脱走から26日目、ついに恐れていた事が起きます。

 

場所は、寺から南東に約4キロ離れた民家の一角。

 

飼っている犬がトラに襲われ、無残な姿で見つかったのです。

 

このとき、愛犬の異様な声を聞いた男性は、「声がした庭へ向かったのだが、残されていたのは、首輪と鎖だけ。そこには愛犬とは比べものにならない大きな獣の足跡が残っていた」と証言したのでした。

 

その後、千葉県警で結成された高射撃技能者「トラ捜索選抜隊」と、猟友会員が足跡などをたどって山中を捜索。

 

するとこれまで約7700人を動員した大捜索網をかいくぐり、逃走してきた1頭をようやく発見します。

 

射殺か生け捕りかに揺れ動いていたのですが、捜索隊は「住民への被害が出る前に射殺しなければ」と判断。

 

茂みの向こうにいるトラを射殺したのです。

 

これでトラの影におびえる日々が終わり、騒動は収束したのでした。

神野寺のトラ脱走事件のその後は規制強化

神野寺のトラ脱走事件があった当時、日本の法律では、猛獣であっても行政からの許可を必要せずに飼育できました。

 

そのため、動物好きの住職はトラやクマなどを飼育し、地元住民らから人気を集めていたといいます。

 

しかし、トラ脱走事件のその後、警察は神野寺の住職と次女の飼育係を軽犯罪法違反で送検。

 

2人は起訴され、拘留20日の判決を受けることになったのです。

 

また、マザー牧場や鹿野山ゴルフ倶楽部も、営業停止による被害で、損害賠償の請求も辞さない構えをみせていたそうです。

 

そして、この事件をきっかけに、国は危険動物の飼育の規制強化に動き、危険な動物の飼養及び保管に関する条例が施行されたのでした。

 

県衛生指導課によると、環境省はこの事件を受けて同年8月に各都道府県知事らに対し、猛獣などの危険動物の飼育・保管に関する条約の制定を急ぐよう通知。

 

千葉県も11月に「危険な動物の飼養及び保管に関する条例」を施行したのです。

 

あと、神野寺のその後ですが、残ったトラなどを北海道の動物園に引き渡し、猛獣の飼育をやめ、代わりに鹿を飼ったということです。

 

ただ、現在はそうした動物たちもいなくなり、「十二支園」自体無くなっているそうです。

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