小暮洋史の現在は死亡?目撃は?長女と兄が被害者家族で生き残る!

小暮洋史の画像 社会

1998年1月14日に起きた「群馬一家3人殺害事件」の犯人・小暮洋史は指名手配されて20年以上経ちますが、有力な目撃情報もなく、現在も逮捕されずに逃亡中です。

 

一方で、乗っていた車・シルビアともども消息不明なことから、一説には、死亡説も囁かれています。

 

はたして小暮洋史はほんとうに死んでいるのか。

 

また、生きているのなら一体、現在はどこに潜伏しているのか。

 

霊視できる有能な霊能者がいるのなら、小暮洋史の現在を知っているのかも知れませんね。

 

ところで、殺人事件などの法律が変わって、凶悪事件の時効はなくなりました。

 

とうぜん、未解決事件である「群馬一家3人殺害事件」の犯人・小暮洋史にも時効の成立はありません。

 

ところが、加害者が被害者側に支払うべき「損害賠償請求権」の時効の改定まではされておらず、20年で消滅してしまいます。

 

そのため、被害者の家族の中で生き残った長女は、損害賠償請求権の時効寸前に民事での提訴に踏み切りました。

 

結果、訴訟の判決で裁判官は、家族の請求通り1億円余りの支払いを小暮洋史に命じたのです。

 

ただ、損害賠償を命じられても小暮洋史は出廷もしておらず、いまだ行方がわかっていません。

 

なので、今のところ、賠償金を支払うことは事実上ないとみられます。

 

そこで今回は、被害者・石井さん家族の長女が犯行の動機だとされている「群馬一家3人殺害事件」についてまとめてみました。

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小暮洋史の現在は死亡?

死亡説も囁かれている「群馬一家3人殺害事件」の犯人・小暮洋史は、生きているのなら現在どこに潜伏しているのか。

 

海外に逃亡している説、または、リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件で指名手配された市橋達也や、松山ホステス殺害事件の福田和子のように整形して、国内を転々としている可能性もあります。

 

また、小暮洋史の足取りについてですが、事件から1週間後の1月21日で途絶えています。

 

このとき、小暮洋史が使用していたのは、愛車である日産シルビア。

 

ボディーカラーは黒で、プレートナンバーが「群馬 33 も 8670」で、1月21日深夜、群馬県太田市や埼玉県熊谷市周辺で確認されたのが最後となっています。

 

その後、警察には、400件以上の目撃情報などが寄せられていますが、事件解決につながる情報は得られていません。

 

車ごと行方がわからなくなるなんて神隠しのような話ですが、実際にそんなことが起こりうるのでしょうか。

 

本当に謎です。

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小暮洋史の目撃情報

小暮洋史に関しては、あまりにも目撃情報がないことから死亡説も浮上しています。

 

それに現在もですが、小暮洋史が所有する銀行口座から金が引き出された形跡はないそうです。

 

逃亡する気なら金は必要だったはず。

 

それなのに銀行口座に手をつけていないということは、やはり事件後に自殺しているのかもしれません。

 

また、以前に小暮洋史の父親が「どこかで自殺しているんじゃない?」とコメントしていたそうですが、息子が犯罪者なのに、何か他人事のような口ぶりです。

 

さらに、小暮洋史には姉もいますが、こちらは結婚して別姓を名乗っているため、マスコミが駆けつけることはなかったようです。

 

ただ、小暮洋史の昔の彼女がインタビューで「私が彼を変えてしまったのかも…」と発言。

 

このとき彼女は「車は解体して、もう自殺してるかも?」と話していたようですが、警察が群馬県内外の湖や沼約20ヶ所を捜索しても成果はありませんでした。

石井家は両親と祖母が死亡で長女と兄が生き残り

長女のストーカー行為から凶悪な犯罪へとエスカレートした「群馬一家3人殺害事件」。

 

犯人の小暮洋史は、長女の家族である電気工事会社経営の父親・石井武夫さん(当時48歳)、母親の千津子さん(当時48歳)の両親と、祖母のトメさん(当時85歳)を殺害しました。

 

石井さん家族で生き残ったのは、ストーカー行為に悩まされていた、長女と兄の2人。

 

事件当時、兄は実家を出て暮らしていたため、危害が及ばなかったのですが、2人だけ生き残ったことに、被害者家族は現在も自責の念にかられています。

なぜ事件は起こったのか

「群馬一家3人殺害事件」の犯人・小暮洋史は当時28歳。

 

群馬県前橋市内の運送会社「三山運輸」に勤務するトラック運転手で、当時20歳の長女が働くドラッグストア「イイヅカ薬品」に配送の仕事で出入りしていました。

 

石井さんの長女は広末涼子似の美人。

 

小暮洋史は長女に一目ぼれし、そこからストーカー行為が始まります。

 

まず、小暮洋史は長女が帰宅するのを待ちぶせし、車で後をつけたのです。

 

そして、長女の自宅を特定。

 

長女の名前と住所を知った小暮洋史は、電話帳などから番号を調べ上げ、自宅へ頻繁に電話をかけ始めます。

 

電話で小暮洋史は長女に対し、デートに誘うなどしていましたが、長女は誘いを断っていました。

 

その後も小暮洋史のストーカー行為はエスカレート。

 

長女の車のワイパーに手紙を挟んだり、多額の金品を貢いだりしていたといいます。

 

また、こんなこともありました。

 

ある日、長女は職場の同僚に誘われボウリングへ行くことに。

 

ところが、声をかけた男性メンバーの中に、あの小暮洋史がいたのです。

 

これが長女にとって、事件前に目撃した小暮洋史の最後の姿になります。

 

また、小暮洋史は事件の10日前にメモを残して会社を辞めていました。

 

このときすでに犯行を決意していたのでしょうか。

 

そして、1998年1月14日午後7時頃、群馬県群馬町(現在の高崎市)三ツ寺の石井さん宅で起きたのです。

 

小暮洋史は長女の自宅へと向かい、そして家の中へ。

 

長女の姿を探して室内を伺うのですが、このとき居たのは祖母のトメさん1人でした。

 

すると、小暮洋史はトメさんの首を絞めて殺害。

 

家の中に身をひそめているところに、母親の千津子さんが帰宅します。

 

すると小暮洋史は再び姿を現し、台所にあった包丁で殺害。

 

なお、この日は千津子さんの48回目の誕生日だったのです。

 

続いて午後8時半ごろ、父親の武夫さんが帰ってくると、小暮洋史はメッタ突きにして殺害します。

 

家の中で待ち伏せし、3時間足らずの間に3人の命が奪われたのでした。

 

その後も小暮洋史は、家に留まり、玄関で長女の帰りを待ちます。

 

そして、午後9時ごろに長女が帰宅すると、目の前に立つ木暮洋史の姿が。

 

室内に閉じ込められた長女は、小暮洋史を説得しようと話をします。

 

すると、2時間後、小暮洋史はおもむろに車に乗って立ち去ったのでした。

 

幸いにも長女に怪我は無かったのですが、事件はなぜ起こったのか。

 

動機は一説によると、長女の結婚が原因だったそうです。

 

要するに長女が結婚することを知ってしまった小暮洋史が怒って、殺人を犯したのではないかと言われています。

小暮洋史の生い立ちと性格

小暮洋史の生い立ちですが、小暮洋史は群馬県前橋市出身。

 

犯行当時も前橋市内に住んでいました。

 

また、高校は地元の群馬工業高校を卒業。

 

高校時代は決して目立つ存在ではなく、卒業後にトラック運転手として働いていたようです。

 

一方、性格の方ですが、人付き合いが苦手で、無口。

 

人見知りするタイプだったというから、学生時代はほとんど友達がいなかったそうです。

 

ただ、仕事ぶりはまじめで、トラブルなどは一切なかったとか。

 

さらに、いつも無表情で、誰ともほとんど口を利かず、後輩の面倒見は非常に悪かったそうですが、決して凶悪事件を起こすような兆候はなかったということです。

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